理事長あいさつ
MESSAGE
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当法人は、寺の住職であった私の祖父・酒井法城が、 昭和27年に境内で開いた保育園が出発点です。
今でこそ保育園や幼稚園はどこの地域でも見られる子育て施設ですが、 その当時における当地の時代背景や生活観を考えると、比較的珍しい取り組みだったと聞いています。
そして先代理事長酒井慈玄の時代に社会福祉法人三篠会が設立され、現在では児童だけでなく、高齢者や障がい児(者) などを対象にした、 幅広い福祉事業を展開するにいたっております。
特に先代は、いわゆる一般的な社会保障サービスでは支援しきれないニーズや存在への気づきを大事にしており、その先駆者となることに社会的意義があると考えていました。
全国でも初となる聴覚障がい者専用養護老人ホームや、視覚障がい者専用ケアハウスなどもこうした原点に基づくものですし、事業の幅が広くなっていった一つ一つの経緯全てが、 この原点からの歩みの延長に位置づけられるものです。一方で、先駆者と言えば聞こえは良いのですが、 その歴史は手探りの連続であり、 事実、 今から振り返っても反省すべき点も少なくありません。 ご利用者や職員に辛い思いをさせたことも少なくないように思います。
また、最初の一歩は、 結果的に小さな歩みにすぎなかったかもしれませんし、二歩目、三歩目の歩みが足りなかったこともあります。 今も昔も日々反省です。
しかしそれでも、ほかに何の手立てもない困難な状況にある人々に、 未来への希望を示すことができたその瞬間は、 社会福祉事業の存在意義がつまっているものとも考えています。 もちろん、 ご利用者様をはじめとする多くの方のお支え抜きでは、 その存在意義も成立しなかったでしょう。
これからも、時代とともに変化する社会のニーズを見つめ、 社会福祉の本当の価値を問い続けるというテーマに向き合いたいと思います。
そして同時に、ともに歩む職員や人々が互いに支え合う姿に誇りと生きがいを感じられる福祉現場を創造し、地域にとっての活力を生み出すために、日々研鑽に努めてまいります。
今後とも変わらぬご指導とご支援をお願い申し上げます。
社会福祉法人 三篠会
理事長
酒井 亮介
INTERVIEW
CHAPTER 01
三篠会入職後、最初の現場は厨房
お寺の家の子、また三篠会の理事長の息子という立場でしたが、若い頃は、多くの例にもれず、「寺も法人も継ぐ気はない」と言っていました。今になって思えば、嫌だと言いつつ、逆にすごく意識していた証拠だったのでしょうね。
東京の大学に進学し、卒業後はそのまま一般企業に就職しましたが、25歳の時に、結局後を継ぐために広島に帰ってきました。
やっぱり、どこかで考えていたということでしょう。
三篠会に入職してからは、さまざまな現場を経験させてもらいました。普通、現場と言えば介護現場と思いきや、最初は「ひうな荘」の厨房でした。それまで情けないほど料理をしてこなかったので、当時の調理スタッフには、本当に迷惑をかけただろうなぁと思います。
わずか2~3カ月のことでしたが、私自身は未知の世界に受け入れてもらい、とても楽しかった記憶があります。調理スタッフは休憩時間に昼寝をすることがあるのですが、私も一緒に川の字になって、いびきをかいて休んでいたことが懐かしい思い出です。
CHAPTER 02
羞恥心があることを忘れてはいけない
その後、介護現場、相談業務、事務などを経験しました。やはりすごく印象に残っているのは、介護現場でのことですね。初めてだったので「どんな介助場面でもなんだってするんだ」という強い意気込みと同時に、「自分に務まるのだろうか」という不安も抱いていました。
特に最初は、オムツ交換をする時には、どうしても気持ちが引いてしまうこともありました。が、1~2週間くらいすると徐々に慣れて抵抗も少なくなり、「何とかなるかな」と思うようになってきました。
そんな時に、介護主任に言われたのが「みんな手際よくオムツ交換するのはいいけれど、慣れすぎているんじゃない? 誰しも羞恥心や抵抗があるという感覚を忘れてはいけないよ」ということです。ただこなす作業になってしまっては、ご利用者への適切な配慮まで欠いてしまうということです。これはよく言われることで、みんな知っていることであると同時に、つい陥りがちな、いわば権利侵害でもあります。少し自信を持ち始めていただけに、指摘がとても恥ずかしかったのですが、慣れることが、必ずしも良いことではないということを教えられました。
CHAPTER 03
人間同士、逃げずに向き合うことが大切
もう一つ印象にのこっているのが、あるご利用者の方のことです。私と同世代の男性で、事故で体が不自由になった方でした。
気難しい面があり、他の職員もコミュニケーションに苦戦していたのですが、ひょんなことから、話し込んだことがありました。同世代ということもあり、お互いに本音を言い合い、気づいたら3時間くらい話していたと思います。時に互いの意見に「それは違う」とムキになってみたり・・・・プロの介護スタッフであれば、あってはならないようなコミュニケーションのとり方だったと思います。でも最後は「話せて良かった。また話そう」と言ってもらえました。
ご利用者の方も職員も、人間同士なんだから感情もあるし、意見が食い違うこともあるかもしれない。ひょっとしたら好き嫌いだってあるかもしれない。「職員なんだから、どのご利用者(職員)に対しても常にやさしく」なんてことを言ったら嘘だと思います。でも、そうした互いの姿を前提に、それでも逃げずに向き合うことが必要なんだということを感じた出来事でした。
もちろん、当時の私のコミュニケーションが正しかったわけではありませんし、今でも未熟な言動は少なくないのですが・・・お互い可能な限り不快な思いを与えないよう、個性を尊重したコミュニケーションを図ることがこの仕事の重要なことだと思います。
CHAPTER 04
働く人の誇りや生き甲斐となる福祉へ
三篠会の福祉施設は、現在広島に12カ所、関東に8カ所、関西に2カ所となりました。入所者は2561人、通所者数1564人、職員は約2600名となり、社会的にも職場的にも大きな責任があると考えています。
これまで行ってきた、さまざまな地域で初となるパイオニア的な事業展開や、低料金でのサービスの提供は、法人としてのアイデンティティです。今後も十分に認知されていないニーズを模索し、新たな取り組みを発信し続けていきたいと思います。
そしてもう一つ。福祉に携わる仕事のイメージを変えていくことも、今後は必要だと感じています。日本の社会保障を支える人材を育成するためにも、ともすれば「大変さ」が前面に出ることの多いネガティブなイメージを払拭し、明るいイメージへと変革することが私たち世代の役割です。福祉における新たな価値観を創出し、働く人の誇りや生き甲斐となる施設や事業を作り上げていきたいと考えています。